マッキンゼーでは、様々なバックグラウンドを持つコンサルタントが活躍しています。

アソシエイト・プリンシパル
1992年に慶応義塾大学経済学部を卒業後、日系保険会社にて営業、管理部門、海外事務所勤務と幅広い業務を担当。Duke大学にてMBA取得後、2004年にマッキンゼー入社。約1年半を欧州オフィスにて勤務。保険を中心とした金融機関の戦略立案、新規事業立ち上げに従事。
キャリアチェンジについて
将来はぜひ経営に関わりたいと考えていた一方、今日の仕事・明日の仕事の延長線上に、経営に関わっている自分はどうしても見えてこない。明日から会社の舵を取れといわれたら、恐らくそこでフリーズしてしまいどこから手をつければよいのか分からない。そんな一種の焦燥感の中出会ったのが、マッキンゼーでした。
マネジメント・コンサルティングとは一体どんな人たちが、どんなことをやっているのだろうかという気軽な気持ちで門を叩きました。様々な志を持つコンサルタントとのディスカッションを重ねるうちに、自分もこのメンバーに加わりたい、彼らと共に成長したいという思いを強くしました。そしてまた、ここでなら経営の目線でモノを考え、社会を変えていくドライビングフォースの一員となれる、そう実感しました。
マッキンゼーでの仕事について
ファクトでバックアップされた正しいロジックで次の戦略を練る。これは私達の仕事の最低限の条件です。私達の仕事はクライアントに実際のインパクトをもたらすことにあり、机上のディスカッションをしていてもそれが実行されなければ何の意味もありません。何をすべきか、に加え、何故それが必要なのか、どのように実行すべきか、までディスカッションし、納得していただいて初めて組織は動き、インパクトが生まれるのだと、今更ながら痛感しています。
私はマッキンゼーに入社後の約1年半を海外のオフィスで過ごし、ドイツ、イギリス、アメリカ、ベルギーで仕事をしました。どうすれば、クライアントが動き、インパクトが生まれるのか、徹底的にこだわりぬく仕事のやり方は、他オフィスでも面白いくらいに共通していました。全く異なるバックグラウンドを持つメンバーが同じ価値観を共有し、グローバルな知的リソースを活用しつつ解を導き出していく。これがマッキンゼーの強みであり、また個々の成長・エキサイトメントの原動力なのだと思います。

マネージャー
2000年に東京大学教養学部(国際関係論専攻)を卒業後、外務省に入省。日米関係、東南アジア諸国との経済連携協定交渉等を担当。コロンビア大学にてMBA取得後、2006年にマッキンゼー入社。約1年にわたり欧州オフィスにて勤務。製薬企業の研究開発戦略や新商品立ち上げ戦略の立案、アライアンス交渉の支援、銀行・証券を中心とした金融機関の戦略策定や組織変革に従事。
“We have a surprise for you.” リーマンショックの嵐が世界の金融市場に吹き荒れる中、ある金融機関の組織変革プロジェクトに従事し、中東・ロンドン・フランクフルトを3ヶ月にわたり飛び廻り続けた私を最後に待っていたクライアントのトップマネジメントからの一言でした。プロジェクト最終日のワークショップ、その最後にクライアントの一人が「親愛なるKuwabaraさんへ」に始まる片言の日本語のスピーチをもって、困難な課題に共に立ち向かい、変革を推し進めたことへの謝辞を披露してくださいました。50名ほどのクライアントの皆さんを前に、涙を流したことは今でも忘れられません。真にヒトの役に立つ実感を得たい、20代後半から30代にかけての勝負の時期に自分の能力を思う存分発揮してみたい、そんな思いでマッキンゼーの門を叩いて以来、初めて、グローバルに通用するプロフェッショナルに一歩近づいたかなと感じられた瞬間でした。
マッキンゼーでは、クライアントの課題解決に向けてファクトとロジックに基づく議論が常に求められ、その中でとことん考え抜く力を身につけていきます。その前提にある「クライアントのために」という発想は、パブリックセクター出身者には馴染み深く、かつそこに明確なクライアントがいることでリアル感が生まれます。主役はあくまでクライアントであり、クライアントの課題解決が進むことで自分も嬉しくなる、そんな「パブリックマインド」はプロジェクトを推し進める上での私の大きな原動力の一つになっています。
マッキンゼー入社以来、1年の欧州勤務を経たこともあり、日本のみならず、香港、シンガポール、ニュー・ヨーク、ロンドン、中東と、色々な国・地域のクライアントと仕事をさせて頂きました。グローバルに通用するプロフェッショナルに向けた成長を噛み締めると同時に、世界の動きの中で日本を客観的に見つめられることが自分の視野と思考の広がりにつながっていると感じています。

アソシエイト・プリンシパル
1999年に慶應義塾大学大学院理工学研究科電気工学専攻にて博士課程修了。工学博士。大手製造業の研究職、技術系ベンチャーの起業を経て、2004年にマッキンゼーに入社。2006年よりシカゴオフィスにて1年勤務の後、日本オフィスに復帰。
キャリアチェンジについて
レーザー技術の研究をしていて、博士号修得後、大手の総合電機メーカーで研究員となりました。ところが、わずか一年後に経営陣が「この分野の研究を打ち切る」と決定。唖然としました。「研究・技術と、経営・ビジネスの関わり」を、最も衝撃的な形で突きつけられた瞬間でした。
同僚と何度も議論した上で、自分達でやってみようと決心しました。ビジネスも経営も何も知らない状態で大海にこぎ出したのです。技術には自信がありましたから、ちょっと簡単に考えていたかもしれません。しかし実際には、経理伝票の仕訳から新入社員の面接まで、研究とはかけ離れた仕事を片っ端から片付ける日々。技術が世の中に出るまでに、どれだけの有象無象の問題点とプロセスが存在するか、身をもって体験しました。これが私にとって2番目の「研究・技術と経営・ビジネスの接点」でした。
紆余曲折を経て、幸い起業も成功しました。会社も成長し、自分達が研究してきたものが形になり世の中に出てゆく達成感も味わいました。同時に欲も出てきました。起業で経験した「一流の研究と手探りの経営」ではなく、「一流の研究と一流の経営」が交わる舞台もあるはずだ、と思ったからです。私にとって3番目の「研究・技術と経営・ビジネスの接点」、それがマッキンゼーだったのです。
マッキンゼーでの仕事について
実は入社当初は、間違ったのではないか、と思いました。「経営コンサルタント」として肩に力が入りすぎていたように思います。技術しか知らない自分の弱点を補うために、幅広い経験が必要と考えて、金融機関や消費財メーカーの仕事をやってみたんです。そうしたら、楽しいと感じられないし、自分の仕事の価値がよく理解できない。この仕事には適性がないのでは?と悩みました。
組織に慣れるにも時間がかかりました。初めての“外資系”、グローバルファームという組織、個人がそれぞれ自分のアスピレーションに基づいて主張しあうという風土は、ベンチャー企業よりもヒエラルキーがなく、正直戸惑いました。
間違ったか、と悩み始めた頃、とある一流技術系メーカーの生産性向上プロジェクトのため、数ヶ月にわたり地方で工場に張りつく、という経験をしました。この時、一気に霧が晴れました。日々、技術を高めることを目的に仕事を進めるこの感触。「そう、これこれ」と、しばらく離れていた自分が「エキサイト」できる場所に戻ってきたことを肌で感じました。顧客企業の人の気持ちもわかるし、なんとか役にたちたいと心から思える。それに自分のやってきたこと、考えてきたことが生きて使える。マッキンゼーの中に、研究者・技術者としての自分の「居場所」を見つけられた瞬間でした。それ以降は・・・骨がきしむくらいのスピードで成長していると思います。新しい海が自分の前にいきなり出現した、という感じです。一流の研究や技術を活かすもダメにするも経営が大きく左右する。そういう時代になっていると肌で感じています。

マネージャー
東京大学法学部を卒業後、経済官庁で流通業や製造業の企業再生を担当。 2006年にマッキンゼー入社。現在、Global rotation programを活用して、シリコンバレーオフィスにて勤務中。コロンビア大学MBA
“Absolutely, you can!”
そう聞いたのが決め手となりました
公務員の立場から流通業・製造業の企業再生や産業再生機構等に関わっていく中で、ビジネスの変革を自分で実際にやってみたい。また、そのための経験・スキルをもっと伸ばす必要がある。と感じるようになりました。10年後までに、カルロス・ゴーンさんのように、変革を実行できるグローバルなリーダー、企業再生・価値向上のプロフェッショナルになりたい、という思いが抑えきれなくなり、転職しました。
今、振り返ってみて、その時の決断は間違っていなかったと確信しています。
入社して最初の2年は、コーポレート・ファイナンスプラクティスという香港にアジアのベースがある部署で、日本を中心にアジアの投資銀行やプライベートエクイティ、事業会社をクライアントとした企業買収の判断のサポート・買収後の組織改変、成長戦略の立案に主に関わりました。
今現在は、“Global rotation program”という、南北アメリカ大陸で6−9ヶ月、欧州・中東・アフリカで6−9ヶ月働く事のできる社内転勤制度を活用して、アメリカ西海岸、シリコンバレーに来ています。出身国とは全く関係なく現地のチームに入り、現地のクライアントと仕事をしています。シリコンバレーでは、世界を猛スピードで変革させている、イノベーションの中心にいるという実感があります。日本とは異なるクライアント、チームの環境の中で、楽しみながら挑戦しているところです。
マッキンゼーの魅力
−能動的に仕事・成長の仕方を選び取っていけること
入社してまず言われたのが、“Shape your own McKinsey”でした。その言葉どおり、自分でどんな業界、専門分野(マーケティング、コーポレートファイナンス、オペレーション等)でどう成長したいかについて、受身ではなく、探して選び取っていけること、またそうした際に周りの人々がどんどんサポートしてくれることは、非常に驚きでした。
−計画立案だけではなく、実行のサポートを重視していること
絵に描いた餅だけではなく、人、組織を変えるという複雑な連立方程式まで踏み込んで解かないと、真の価値(Value)は出ないという確信の下、価値実現の実行に真剣に取り組める、というのは、私が入社前に持っていたコンサルティングのイメージをいい意味で裏切ってくれました。
−世界中のモチベーションの高い、尊敬できる仲間と、何の壁もなく仕事ができること
“Global One Firm”という言葉のとおり、地域・産業・専門の経験をそれぞれに持ったグローバルな同僚と、思い立ったその日に役職、地域等、全く何の壁もなく、自由に平場で議論できること。また知識の独占ではなく共有によりイノベーションが生まれ、お互いを高めあえるということは、そこから得られる知識・知恵に留まらず、マインドセットの変革という意味でも大きく私を成長させてくれました。
それでは、ゴーンさんみたいになれたのか?
勿論まだ道半ばですが、山に近づいた事でその巨きさ、登山ルート、他の面白そうな山など、色々と見えてきました。 今後は、少しでも早く、その道を登っていけるように、全力を尽くしていきたいと思っています。

アソシエイト
中国・遼寧省、瀋陽生まれ。小学校では英語を、中学から高校までは日本語を特別クラスで学ぶ。1998年、奨学生として来日し東京大学工学部工学系研究科地球システム工学修了。2005年マッキンゼー入社
中国から日本に来た6年後、今度は日本からフランクフルトに向かう私がいました。新しい国、新しい分野を転々としていますが、決して飽きっぽいわけではありません。いろんな新しいこと、できるだけ多くのことにチャレンジしたい。ずっとそう思っています。
私は、「過去の資産」を使って生きるよりも、常に「新しい資産」を求めるタイプです。日本の大学院では、太陽光発電の市場ポテンシャルを金融工学的アプローチで研究していました。通常の進路は、研究者か、エネルギー関係企業への就職ですが、私は専門知識を活かすというよりも、社会とより密につながる仕事がしたかった。また、活動の舞台を日本に限定したくなかったのです。グローバルな仕事ができ、社会との強いつながりがあり、何より、人を大切にする企業というのが私の条件でした。そこでマッキンゼーが選択肢に浮かびました。マッキンゼーで働いている先輩が数人いたのですが、その誰もが「ここはいいぞ」と自信を持っていたことが、最後の決め手になりました。
マッキンゼーに入社後は、自分の領域が広がり、知見が深まり、すごい勢いで自分の資産と呼べるものが増えているのを感じます。入社後半年の間に、コンシューマ商品の成長戦略、FA機器の市場シェア向上と2つのプロジェクトを経験しましたが、もう猛烈に忙しく、信じられないほどのスピードで大量の新しいことを吸収していくプロセスでした。その時、ここは自分にはぴったりの場所だと確信したものです。
フランクフルトに転属希望を出したのも、あまり得意ではない英語環境で自分を鍛えるためでした。常に「もっともっと」なんです。もちろん大変だろうと覚悟はしていましたが、「NO PAIN, NO GAIN」です。できる限りストレッチしたい自分としては、お給料の他に試練まで頂いていると感謝しています。
瀋陽にいる母は医師をしています。人の役に立ち、周囲の人から尊敬されている姿をずっと見てきました。私はコンサルタントという仕事に、同じものを感じています。悩んでいる人たち、身近な人たちに何かを提供したい。そしていつの日か、まだまだ非効率な中国国営企業を経営者として改善し、従業員の人たちの暮らしを変えていきたい――そう考えています。
今は中国を離れていますが、国を捨てたわけではありません。中国は、「原点」であり「ゴール」です。離れていても思いは薄まるのではなく、むしろ積み重なり、広がっていくものです。私はまだ自分の将来を決めていません。というより、決めたくないのです。まずは、可能な限り自分を高め、いつか本当に自分を賭けられる事を見つけたいのです。その道は、きっと自分の「原点」につながっていくだろうと考えています。
ゴールまでの道のりは、まだまだ長いものです。マッキンゼーには、日本企業の中国戦略プロジェクトや中国企業の日本進出のプロジェクトもあります。もちろん関心はありますが、今は、中国語力や中国文化への理解といった「過去の資産」を自分の武器として使いたくないし、まだその時期ではないと思っています。まずは1人のコンサルタントとして求められるようになってから、その後で参加したいのです。なぜなら、私のゴールは、そんなにたやすいものではないと思うから。
日本支社で活躍する女性コンサルタントの生の声をお届けします。
K. Honda
ディレクター
「女性が志を高く持つことができる
組織」
Y. Yokoyama
アソシエイト・プリンシパル
「自然体で活躍する『プロの女性』」
Y. Kawamoto
シニア・アドバイザー
「問われるのは仕事の内容」

ディレクター
ウィリアム・クラーク博士は、明治の初期、北海道の地で、「少年よ、大志を抱け(Boys, be ambitious!) 」 と言っています。マッキンゼーは、まさに、女性が志を高く持つことのできる組織です。
マッキンゼーでは、誰が言ったかではなく、「何を言ったか」が問われます。年齢、性別、入社年次などは関係なく、クライアントの置かれた状況をしっかりと把握し、革新的な提言をすれば、クライアントの課題解決に大きく貢献できるのです。
それだけに、一人ひとりが担う責任が重いことも確かです。加えて、業界を代表する企業であるクライアントが抱える課題の多くは、難しいもの、また新たなものです。そうした課題の解決は、ハードルが高く、厳しいのは確かですが、志高く挑戦する機会を持てる組織でもあるわけです。
女性コンサルタントにとっても然り。私自身、入社後に結婚、出産し、育児をしながら、パートナーとなりました。トップ・マネジメントの方々と議論する機会も多く、充実した日々を送っています。

アソシエイト・プリンシパル
日本では、「職場で目標となる女性の先輩がいない」という理由で退職する20代女性は依然として多く、キャリアを積んだ女性は、まだまだ身近な存在とは言えないようです。マッキンゼーに入社した私は、社会人1年目にして「プロフェッショナル」の女性を目の当たりにしました。
コンサルティングという仕事は、大企業のトップマネジメントにも提言を行い、しかも納得していただかなくてはなりません。それをマッキンゼーの女性たちは堂々とこなします。なぜそれが可能なのか。その答えは、徹底的な価値創造へのこだわりにあります。
マッキンゼーでは、男女の差はほとんど意味を持ちません。徹底したクライアント志向、問題解決のために考え抜く姿勢 ―― 重視されるのは、一人ひとりが「プロ」のコンサルタントとして、いかに価値のある仕事をするかということだけです。
マッキンゼーの女性は、卒業後もさまざまな業界で活躍しており、価値創造にこだわる「プロ」の姿勢は、コンサルティングの枠を超えて広く通用するということを教えてくれます。女性だからといって萎縮することなく、かといって虚勢を張ることもなく、女性が自然体で活躍する。そのために大切なことを、マッキンゼーでは学ぶことができます。

シニア・アドバイザー
マッキンゼーでは、性別、国籍や人種、年齢、学歴や専攻などに関係なく、その人が手がけた仕事の内容、まさにその価値が問われます。そして、その内容には「ここまで」という限界がありません。ですから、毎日が本当に真剣勝負。言い換えれば、課題と自分自身の両方に挑戦しながら、キャリアを積み上げていくことができるというわけです。マッキンゼーには、人間としてのびのびと成長していくための、道具立てがあります。
妊娠や出産といった女性特有のライフステージを迎えたときには、柔軟に対応してくれます。「人間はあらゆる場面で成長できる」という考え方を共有しているからでしょう。ただし、これは、自らイニシアティブを取って、どうすれば何がどこまでできるのかを明確に伝えてこそ、与えられるもの。つまり、自ら責任を持って、よく考え、確実に実行していけば、その後は、極めて公平に、冷静に判断がなされる。その判断には、人間味があって、納得できる。マッキンゼーとはそんな組織です。
そして、忘れてはならない一番の魅力は、一緒に働く人々です。頭脳明晰で、問題意識の高い人たちと、課題解決に向けて、侃々諤々の議論を重ねていると、まるで筋肉を鍛えるように、頭脳を使いこんで、「考える力」を鍛え上げているという実感があります。これこそがマッキンゼーの真髄だと思っています。
「卒業生」の女性コンサルタントから、マッキンゼー時代のエピソードをご紹介します。

一橋大学大学院
国際企業戦略研究科
教授
日本人女性で初めてハーバード大学大学院にてDBA(経営学博士号)を取得。1985-1992年、マッキンゼーで大手日本企業の戦略、組織、企業革新のコンサルティングに従事。その後、青山学院大学国際政治経済学部教授を経て現職。行革本部規制改革委員などを兼務。著書に『組織のコアスキル』、『戦略経営論』、『世界級キャリアのつくり方』など。
私が在籍していたころ、女性コンサルタントはまだ数えるほどしかいませんでした。それでいてまったく特別扱いされず、周りの反応も「ああ(女性が)いたのか」というくらいのものです。叱られるときも手加減はありません。仕事で成果を出してさえいれば、国籍や性別、バックグラウンドは何でもよい――マッキンゼー卒業後、他社の女性と話すたびに、この考え方は特別なものだったのだと実感します。それだけ、「女性であること」は、マッキンゼーでは何の理由にもならないのです。
年齢も関係ありません。上司が間違っていると思えば、若い人でもそう言ってよい。また仮に、上司の言うとおりに実行しても、失敗したら自分の責任になる――厳しいようですが、これが「プロフェッショナリズム」だと思います。最後まで諦めない品質へのこだわり、クライアントとの良好な関係づくり、リーダーシップ術など、マッキンゼーでは多くのことを学びました。これは、現在のキャリアにも生きています。
マッキンゼーの社員は個性的な人が多く、一緒にいて多くの刺激を受けました。たとえ、シニアで一見とっつきにくそうに見える人でも、こちらからアクションを取れば、手を差し伸べてくれました。つまり「自分次第」ということです。ライフスタイル面での個別の課題やニーズについても、必要に応じて自分からアクションを取れば、十分配慮されていたと思います。

株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA)
代表取締役社長
大学卒業後、マッキンゼーに入社。ハーバードビジネススクール留学後、復職。ハイテク業界を中心に活躍し、パートナーに就任。1999年、マッキンゼーを退職し、DeNAを設立。代表取締役に就任。内閣IT戦略本部員、規制改革・民間開放推進会議委員として、日本の未来に積極提言を行う。
マッキンゼーで過ごした日々は、私にとって、とても楽しいものでした。成長につれて責任領域が広がるので、退屈するということがありません。活動の自由度も高く、海外支社に声を掛けて新しい研究グループを立ち上げ、多数のグローバルプロジェクトに参加しました。国境を越えて仲間をつくり、互いに助け合って共通の目的を達成することは、新鮮な体験でした。
マッキンゼーは、女性だという理由で甘やかされることはありません。性別は関係なく、機会が均等に与えられるので、女性にとっては能力を発揮しやすい場所でしょう。私自身も、仕事上で自分が女性であることを意識したことはありません。
今、経営者としての立場で当時を振り返ると、「まだまだ視野が狭かったな」と感じますが、マッキンゼーは自分を育ててくれた大切な場所です。「とことん仕事をする姿勢」と、問題解決のスキルが徹底的に磨かれました。若いうちから大企業のトップマネジメントの方々とコミュニケーションできたことも、有意義な経験になりました。

株式会社メディヴァ
代表取締役
大学卒業後、日本生命に勤務。ハーバードビジネススクールでMBAを取得後、マッキンゼーに入社。消費財のマーケティングを中心に活躍し、パートナーに就任。2000年、マッキンゼーを退職し、メディヴァを設立。代表取締役に就任。働く母親の立場から、「患者不在」の医療現場改革をめざす。
マッキンゼーは、人をとても大切にする場所だと思います。その理由は非常に明快で、ここでは人が価値の源泉だからです。優秀な人材を採用し、必要なトレーニングを提供して、その人が能力を発揮しやすい環境をつくることが、マッキンゼーの成功の鍵です。やる気と能力のある人をきちんと支援するというカルチャーは、この基本理念によるものです。
マッキンゼーで学んだことは数多くあります。その1つが「人の育て方」です。在籍当時、私は「自分の責任でこの人を一人前にする」と真剣に思ってくれる先輩方に育ててもらいました。そして私自身も、同じようにして、後進を育ててきました。
現在、私は医師の方々をマネジメントする仕事をしていますが、ここでもマッキンゼー時代の経験や人脈が生きています。問題解決のスキルや定量化の手法、結果を出すことに対する徹底したこだわりなどは、ほかでは得難い財産となっています。
どのようなキャリアを積みたいかは人によって違いますし、時間の経過によって変化もします。そのため、会社選びは重要です。マッキンゼーは、あらゆるプロフェッショナル志向の女性にとって、人生の一時期を過ごすだけの大きな価値がある場所だと思います。

新生カード株式会社
プロジェクト推進本部
ファンクションリーダー
大学院卒業後、マッキンゼ-に入社。消費財、ヘルスケア業界を中心に活躍。1998年、旧GEコンシューマー・ファイナンス株式会社(現新生フィナンシャル株式会社)に転職。数少ない女性幹部社員として現場の陣頭指揮をとる一方、一児の母として、充実した毎日を送る。2008年9月、同社はGEグループを離れ新生銀行グループとなる。2009年4月子会社の新生カード株式会社に出向。
在籍当時の私は、まだ独身で年齢も若く、マッキンゼーが初めての職場でした。そのため「何でも吸収してやろう」という意識が強く、相当ハードな生活をしていました。このように、働きたいときには思い切り働くことができます。そして、求められる成果を出してさえいれば、必ずしもずっと自分のデスクに張り付いている必要はない――このフレキシブルさは、マッキンゼーの良いところですね。
男女の区別はまったくありません。厳しいことは事実ですが、優秀でプロフェッショナル志向の強い女性にとって、仕事をしやすい環境だと思います。一般的に、日本のビジネス社会には旧態依然とした部分があります。重要な意思決定の場面に女性がなかなか入り込めず、フラストレーションを感じることもあるでしょう。マッキンゼーでは、そのような余計なストレスを感じることなく、仕事内容できちんと評価されます。
女性の先輩方に、大変かわいがっていただいたことも良い思い出ですね。彼女たちからは、キャリアの考え方だけでなく、女性としての生き方も学びました。マッキンゼーには男女問わず個性的な人たちが集まっていて、とにかく毎日が面白かったです。卒業生(アルムナイ)組織もしっかりしていて、そのころ一緒に仕事をした方々とは、今でも親しくお付き合いしています。






